2015年9月 7日 (月)

お礼

27さんに紹介してもらった、「振り子の法則」リアリティートランサーフィン、
今日読み終わりました。

・・・・ほんとにスゴイ本。
教えてくれて、ありがとう(><)

アマゾンで探したら、2巻しか注文できなかった。
知り合いに話したらその人も興味をもち、
先週、4巻までゲットしたそうです・・・遅かった(^^;)

今、一番知りたかったことだと思いました。

感謝です!


次はヴィバッサナー呼吸の本かな(^-^)

楽しみ!

2015年9月 6日 (日)

トトロ

今、調べ物(音楽)があって、娘とyoutubeでジブリのトトロのダイジェストを見た。

以前は「カワイイ!」だけの感想だったけど、なんか異様に感動してしまった。


トトロの世界。この世界。

調べてたのは、夜中の庭で、発芽→大樹にするシーンなんだけど・・・
何故か涙が出た。

まっくろくろすけたち。
子供にしか見えない抜け道。異次元に通じる小道。
正体不明のトトロって生物。大きな口で吼えると、地面が轟くんだ。

出てくる人がみんな、特別の意味を持たないで、
ただ、理由のない涙流したり、「?」や、「  」を発してる。


大きく意図を持ってるのは、あえて言えば大自然一個オンリー。

田んぼの一本の稲も、人も、樹も、まるで同格に、大自然に埋没してる。
大自然(意思の有る)に帰依してる。見事に。

大きな何かに埋もれて抱かれて、でも生きて活きてる。
誰もがそんな生き方をしてる、映画トトロの世界。

この世のまんまだよね。
ものすごい安心と、ありがたさに泣ける。

ヒトが活きること・・・にはまだ思い至らないけど、
まだその域に行けてないけど、

ズボっと入り込んだ安心感は異様だ。


あの映画、徹底的に描写してるだけ。
この世界の描写(人間社会ではない)。
もののけだか、人間だか、動植物だか、
一緒くたに粒ぞろいに、抱かれてはぐくまれている世界。

静寂の中で、
トトロ(地球)は、轟音をたててるんだね。
愛はクールだ。
だけどパワーがものすごい。中立である力。
ありがたいよね。すごい中立。

2015年7月23日 (木)

振り出しに更に戻る

長年の疑問が解消した。
解消した・・・と納得できた。真相なんて知らん。


先日、買い物帰りに突然、私は私の身体から出た。
私が抜けたというより、私のへそからポンっと肉体が飛び出た感じだった。

身体は私のすぐ前に、後頭部と髪の毛が、鼻先にあたるくらいの距離感で、
私の前にぶら下がってる感じだった。
へその緒で繋がってるんだね。

私の肉体は、スーパーの買い物袋を両肘にかけたまま。うつむいて歩いていた。
<私無しに>
時々、ずり下がる荷物を持ち直して、黙々と歩き続けていた。

後頭部から見下ろす「私」は、悲しげだった。
寄る年波にやられ、人生の堆積が重たそう。
「すべては自分のせいだ」と、黙って受け入れ悲しんでいるようだった。

肉体は勝手に動き、
思考はポンポン、温泉のように湧いては消え、
感情もそれに併せて匂い立っていた。

それは全部、<自動的>に起こっている。
誰が起こしてるんでもない。
動きも、思考も、感覚も感情も。
やってきてる。(肉体のそばを通過していく)

にもかかわらず、

「私」は、それ全部を、「自分がやってて自分に責任がある」と思ってうつむいていた!


周囲を見回せば、道を歩く人がみんな、思い思いに「自分を生きて」いた。
みんな、それぞれの内面や肉体に起こることを、「自分のせい」と思い込んでる・・・


道も、建物も、植物も、車も、肉人形(人間)も、空気も、
すべてがひとつ、一糸乱れぬ連動で、
たったひとつの「創作劇」を演じてる。
そこから外れて演じてるものなんか、ひとつもない。


にもかかわらず、


人間だけが、「独立している」と、思い込んでいる。


人間の動作も、
人間の心にわく思いも、

すべてがシナリオどおり。
まるでプロンプターがいるみたいに、

瞬間瞬間、指令(サイン?)、電気信号がやってきてその通りに再現されてるだけ。

それを、自分がやっていると信じ込む、というオプションだけが、
物体や動植物と違うところ。


人間は唯一、センターになってる。
個々人がそれぞれ、ある種のセンター。

それぞれの個人が「主人公」として、映画・・・・。
なんていうのか、こういうの・・・・

大きな大元の映画の中の、個人版の目線世界が、人の数だけある。
そして人の数のシナリオがある。


私はずっと、浄化や内観や、その他のいろんなスピリチュアルなことをして、
悟った人間、完全な心を持つもの、サブリン?になりたいと思っていた。

でもそんなものはない・・・・・(><)

すべてそんなものこそが幻想だった。


あるのは、ひとつの、たったひとつの生命体。
人生にはもちろん、決まった意味も目的も無い。
良い生き方、悪い生き方も、作ればある、人の数だけある。


そしてその、たった一個しかない存在は、
<無>に後押しされている。


へなへなと力が抜けた。
目に見えるもの、
およそ、存在してるものはすべて、
言葉に変換できるものはすべて、
どんな次元のどんな生物も、存在も、

<幻想>でないものはないんだ。

<無>だjけが、虚だけが唯一確か?といえるもので、
それは・・・結局無いんだ(^^;)


真理って。
ずっと探してきた真理って、

「心理なんてものはない、または無いことが真理」

なんだね。


だからこそ、どんなことも自由なんだ。
すべて幻想同士。
すべてが自由な者同士。
怖ろしく対等だし。


「これは幻想(にせもの)だけど、どこかに本物があるに違いない」と思って、

探して探して、探し続けてきた。

「ナイの(^^)」


それから。


自分の性質、個性、自分がしてしまうこと、自分が直せないこと、
自分が望んでしまうこと、
自分に起こってきた人生・・・・


まとめて全部!!!!

そういう配役。そういうキャラ。

もちろん、私のせいではない、誰のせいでもない。

人間には究極、思っていたような自由も選択も無い。

ただもう、シナリオが粛々と運行されていくだけ。

でも・・・・


一秒先に、自分が何を思い、何を望み、何をきめるかなんて、全くわからない。
一秒先がすべて未知なんだ。
つまり、シナリオを知らない。

因果関係も崩壊する。

「今までこうだったから、きっと・・・」も、当たるも八卦当たらぬも八卦だ。


しかも。


「そうであっても」。


このシナリオ内では、自分が自由に思い、行動し、選択できているように、
リアルにそう思える。
選択した気分になれるというか。
そこが摩訶不思議だ。

自分原因説ってある。
長く、私はそう思ってきた。

身の回りに起きる現象は、私の内面の反映だと。


可笑しいけど、「そのようにも見える」のも真実なんだ。
だから、そう思って生きるのも楽しい。

実は、「そのように見える」ように、してもらってるだけだ。


もう・・・・悟りに興味がなくなった。
悟りたいと思わなくなった、ようやく。
どうでもいいからね。

映画を演じさせられている身分で、
心の持ちよう?によって、未開の地を自分の足と意思で歩いてるようにも思うことも出来る。


うんざりでもあるけど、
この世界はかなりステキな奥深いシステムになってるんじゃないかと思う。

しんどいし、飽き飽きしたけどね^^;;

でも、楽しみようはありそう・・・・(^O^)

2014年10月25日 (土)

ふりだしに戻る

以前はすごい真剣だった。

悲壮感いっぱいだったし、

自分は何か、すごくデカイやまとあたってるような気分だった。

悲劇と喜劇のヒロインだった。


今思うのは・・・

「ワクワクすることに付いていくこと」


え~~~?!そんだけ?って感じです。なにそれ?バシャールかよ?


ここに来る前に、最もバカにしてたこと・・・・

鼻で「ふん!」とあしらっていたこと。


自己探求とは!

辛く苦しくても自分の内面に向き合うこと、

見たくない自分も見て、頑張って、何か進んでいくこと。


そうすれば、そこらへんの誰も?到達できない境地に行けるかもしれないんだ。


ボロカスになった私だもの、前払い分の不幸はもう、払い込み済み。

きっと、それを埋め合わせて余りあるくらい、めくるめく喜びが待っているんだわ!

いつか必ず、頭上でくす球が割れるはず・・・・


垂れ幕には、「宇宙一すごい人間おめでとう!」って書いてあるはず。

でも(^^;)


何もなかった。

今、何もない。


とうとう、大切に握り締めていた、不幸な私もなくなった。

大切な、「悟り引換券」だったのに・・・どこかに曖昧に消えてしまった。


親ね。

親。


もちろん!いたらない親でした。

思い通りに愛してくれないし、あれもこれも、不足ばかりの両親だった。

当たり前の人間だったから。私と同じように。


壮大な愛を求めたけど(求める権利があると思った)、

与えられたのは、自分が満足できるラインなんかじゃない。


けど、出来るわけがない。

私はもっと無理。

過去の私が求めたような親の姿、誰がなれるものか・・・。


つまりそういうことかな、

「満足しない」という、すごろくの初期設定が、誰の人生でも用意されてるのかもしれない。


振り返ってみれば、親はよくやってくれた。辛かったろうし、よくも私のために・・・

いっぱい我慢もしてくれた。時間もくれた。

とにかく、親の精一杯をしてくれていた。


不幸な可哀想な愛されない私って、どこにいるんだろう?

それで・・・


色々消えてしまって、

何も動機が残っていない。

動機も、「ヤマ」も、挑戦もない。


あるのは生活だけ。残ったのは、毎日の生活。


ほんとに何も無いから・・・

小さなことで、ワクワクがありそうな道を選んで、とぼとぼ行くだけ。


今日の夕飯なににしようか。

色々思い浮かぶけど、これだ!と心がやや、にんまりするメニューに決定する。

気が進まない料理なら却下。作らない。


あ、そうだ。気が進まないことはとにかくしない。

心がピカっほわっとすることだけ、する。家事の範囲のことですが。

昔のほうがドラマチックだった。

あの頃は、バシャールなんてフンと思ってて、もっとスゴイコトに着手してるつもりだったけど・・・・


わーん、結局バシャールに戻ってしまっている。

(20代の頃はバシャールがとても好きだった)


それ以外、何もない、何も。

とりあえず、思いついたメニューのためにこれからイオンに行く。

それだけ。

でも、それだけだけど嬉しい。

2014年10月14日 (火)

未知

「わからない」の先にしか、本当はないのかもしれないと思った。

わからないから、手立てもない。
手立てがなければ、放棄する。

「わからない」のその先にだけ、無限なことがあるんじゃないか。
「わかる」のなら、有限でしかいられない。

いつでも、自分のことはわからないもの。

人からは見えるけど、多分。
自分の自我を理解することひとつだって、「わからない」から始まらないと、
「予想」の中を踊るだけ。
予想は記憶。終わったもの。済んだもの。

本当に実際に、歩くことが変化になりたいなら、
未知しか行ける場所はないんだった。

わかる場所を歩いてたら、進んだ気がするだけで、一歩も動いてなかったんだ。


「わからない」になるにはきっと、私正しい、を諦めるんだ。

私の正しさって何?
すでに知ってることの中。

だから、私から「正しい」と言われたものは、すべからく「過去」なんだ・・・・。


私は変化したい。

まだ見てないものを見たい。

変わってみたい。


脳内の本棚を、本ごと焼き尽くすときだ。

2014年9月21日 (日)

晴れ

昨日の夕方

20149203


2014年8月27日 (水)

プール遊び

空気でふくらます丸いプールで遊んでる。

ある時きづく。手をバシャバシャ動かすと風を感じた。
そして、目の前に流れる川が、ポシャンと波立った。

それが面白くて、
何度も何度もやってみた。

ところが、手で水を打っても、目の前の川が動かない時もあった。

おかしいな。やり方が悪いのかな?
一生懸命、手を動かす。

すると、川は再び波立った。


どれくらい、こんなことをやってきただろう。
ざっと、51年(^^;)

51歳の老いた子供はまだ、ベランダの丸いプールの中で、
家の前を流れる川を、思い通りに流させようとしている・・・


いろんな波を起こしたね(^^)

人間関係の波
何かが出来る!という能力の波
愛情関係の波
健康や肉体という自然の波

最後は・・・

目に見えない、魂の向上という、わけのわからない波まで、
思い通りに動かそうと思った


本当に起きたの?
それは本当に起きていた?


なにひとつ
なにひとつ

私の手で動くものなんて
ありはしない


ね(^^)


やめる?諦める?
じっと川を見る・・・


家の前の川は、どこ吹く風
優しいまなざしを向ける


「なにひとつ、なにひとつ」と、こだまが返ってくる

2014年8月20日 (水)

あ~~涼しい!と、なれ。

せめてブログだけでも秋を先取りで、

スキンを変えてみました。

もう少し落ち着いたら、ぞろぞろ更新しようかと思います。

思うことはたくさんあるんだけど、
どう書いていいかわからない。
要するに、老化してきてるんだ。
あと、暑さかな。

2014年7月20日 (日)

そんな時もあるさ

放置して何も書かなかったら、
はじめて広告がきた。

なんか書こうっと。


わー
わー

・・・・


言葉が出てこないな。

そんな時もあるさ。


2014年6月16日 (月)

垂直グラデーションと水平で十字

その、
百花繚乱というの、

あるものが、もう、そのように存在していて、
それでいいんだ、
それは動かしがたい・・・という感じなんだけど。

つまり、変えなくていいいいというか・・・難しい@@
言葉はなんて難しく、私はなんて馬鹿なんだろうと思うけど、

すでに、びっしりと敷き詰められた世界はもう完璧で、

「それをどうこうしたい」という人の意志は、幻想であること。

そういう「完璧さ」についてのことを言いたいのですが・・・・


既にある、
完璧である、のは、

私は横並びのこの世界についてだと思っていました。

たとえば、私はこういう人間。あの人はああ、その人はそう、など、
さまざまな人がもう、「すでに」居るという事実っていうか・・・

その「変えなくていい」「変わる必要の無い」完璧さっていうか・・・


うう。上手い言葉を思いついた!

「手の下しようが無い」


そう、そういう風に横並びについてだと思っていた。
それもそうだし。

でも、私という個人の中をとっても、同じだった。
今日はそれを書きたいんだ。



私の中に、もうすでに、「さまざまなグラデーションの私」が存在してるんですね。

つまり・・・


近所で通ってる歌の教室。私と同じくらい下手な人が、先生にすごく褒められた。
悔しい・・・私だって・・・なにさあんな人!

という私がいて、

ふいに、何かに触れたときに、理由の無い慈悲心に襲われる自分もいる。


宮沢賢治の「光の素足」という短編を読んだ。
「光の素足」青空文庫

こういうのに、理解できなく揺らされる心も、私の中に存在している。


今までの観点だと、

歌の教室で嫉妬心で燃える自分から、
他者にも優しく、公平な人になる・・・

A地点からB地点へと、目標を定めて成長していく、とか思っていた。


そうじゃないんだな。直線じゃないんだ。


すでにもう、平面であって、
すでにもう、全部が存在しているんだ。


それは、「世の中には様々なタイプの人、生物がいる」という、横の理解もそうだけど、

「自分の中には、どんくさいのから、神みたいに全体意識に近いのがいる」という、
垂直のベクトルでもそうだったんだな。


私たちは、どこかに向かっているのでもなく、

何かに向かって成長、進化しているのでもない。


もうすでに、そうであるもの・・・・本当にすべてがすでに完成して用意されている・・・ものを、
発掘、発見していくだけなんだ。

思い出していくだけ。

一ミリも、この場所を移動しないままで。


だから、神も、実はそれ以上がある。
神も、素晴らしいかもしれないけど、中途地点の様相にすぎない。

そんな神も、自分の中のグラデーションの一部で、
もうすでに存在している。

鬼畜のような自分も、自分グラデーションの中で、日々おなじみに存在してるのと同じ。


神も、鬼畜も、そういう意味で差が無い、大きな大きな自分フィールドの、
たまたま今の地点で目にした、見つけた、単なる部分に過ぎない。


だから、神も鬼畜も、どっちがエライ、進んでいるというのは、微妙に違う気がした。


同時に!今ここに!動かしがたく存在してるんだな。
最初からあったし、
消えることもない・・・なにも。


最初からすでにあったものを、ただ発見してカウント(したければ^^)していくだけ。


私たちって、倉庫の管理人みたいだね。数かぞえて満足してるのかな^^
ただ、自分の倉庫に何があるのか知るのは、楽しいモンね。

けども、

何を発見しようとも、

倉庫自体は発見前と後で、なんら変わらないけどね^^

ただそれだけです。今日はおわり。

«あったのに